私にとってのバンクーバー朝日軍------テッド・Y・フルモト
私は、物心ついた頃から、父よりバンクーバー朝日軍の自慢話、
血湧き肉踊る大活躍の野球の話を聞きながら育ちました。父は、私から申すのもなんですが、 実に温厚で優しいジェントルマンでした。1900年(明治33年)生まれですが、 好きな音楽はエルビス・プレスリー、ビートルズ。渋くはパットブーン、ドリス・デーなんかを聞いていました。 しかし、なかでも曲はビリーーボーンで有名なレッドセイル・インザ・サンセットが好きでした。 日曜日などはいつも朝日軍の時の若い写真のついた名刺を持ち、子供達にも配り、草野球を指導していました。 そんな優しい父でしたが、ことプロ野球となるとそれはもう、現役、朝日軍のプレーヤーに戻ってしまい、 テレビで日本のピッチャーやチームが外国人助っ人に打たれたりやられたりすると、 「何だ、あんなのにやられて、俺達はもっと凄いのに勝って来たんだ。」と息巻いていました。 そんな訳で、私にとっての朝日軍は父そのものでした。 父からは、朝日軍という凄いチームがあつたこと。巨人軍よりも古く、その巨人軍とも戦ったことのある朝日軍。 しかし、日本の人で私の知る限りでは、朝日軍を知っている人は皆無でした。 やがて、大学に進み、 たまたまクリスマス礼拝で麻布、有栖川記念公園の前の南部坂教会へ行きました。そこへ古本と記帳したところ そこの牧師が、「フルモトさん?めずらしい名前だけど君のお父さんはひょっとしてカナダ、いやバンクーバーですか。」 と聞かれました。「はい、そうです。」と答えると、ぱっと目を輝かして「もしかして、バンクーバー朝日軍の ピッチャーのテディー・フルモトさん?」と聞かれました。「そうです。」と答えると礼拝は早く?切り上げ牧師館 に呼ばれ、しばし朝日軍の話になりました。その方が、私の知っている限り、ただ一人の朝日軍を知っている人でした。 やがて、月日は流れ、私も社会人となり日々日常の仕事に忙殺され、朝日軍のことは気にはしているものの、誰も知り ませんので話題にもなりませんでした。そして、1979年、朝日軍のことは日本では誰も知らないまま、 父と私の物語の中に封印されたまま父は朝日軍の思い出を胸に、大切にしていたユニフォームと自分の名刺を持って この世を去り、永遠の眠りにつきました。 そして、父が亡くなって15年目、朝日軍のことは忘れかけていた1994年。夕食時にテレビをつけたところ、何と 「知られざるカナダ朝日ベースボールチーム」と言う特集番組が始まるところでした。 私は、一瞬夢を見ているのかと思いましたが、気を取り直し食い入るように番組を見ました。見終わった後、 興奮は冷め遣らず、思わず番組のプロデューサーに手紙を書きました。しかし返事は来ず、 どういうわけか4年後の1998年に一本の電話が私のオフィースにかかってきました。 仕事場の引越しの最中に私の手紙が現れ、中を見てびっくりしてかけてきたそうです。その後、 その方から、レジェンド・イン・ベースボールのパット足立さんやケニー・沓掛さんその他の朝日往年の生存されている プレーヤーを教えていただき、カナダへ飛びました。 後は、本に書いたとおりです。私は、 亡くなった父と全ての往年の朝日軍プレーヤーに捧げるつもりと、この朝日軍の歴史的存在と活躍を多くの方に知って いただきたい一念でこの本を書きました。いい意味での日本を愛する心・愛国心を持ち、日本人としての堂々とした プライドを持って、日本を元気に!世界を豊かに!とグローバルに活躍して頂きたく思います。 私にとっての、バンクーバー朝日軍は、良き日本人の心であり、自分もワン・オブ・朝日と思いたいほどの憧れと、 心の支えです。 |
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